ノールダール アルタフィーニ ダノーバ グリッロ リードホルム スキアフィーノ グレン C・マルディーニ ザカッティ フォンタナ クディチーニ |
プラーティ ソルマーニ ハムリン リヴェラ トラパットーニ ロデッティ シュネリンガー アンクイレッティ ロサート マラトラージ クディチーニ |
ファンバステン フリット アンチェロッティ ドナドーニ ライカールト コロンボ マルディーニ タソッティ バレージ コスタクルタ F・ガッリ |
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チェザーレ・マルディーニにグレン、ノルダール、リードホルムのスウェーデン「グレ・ノ・リ」トリオ、スキアフィーノらのスター選手を揃えたミランは1年おきに3度のリーグ制覇を成し遂げ、一躍黄金時代を築いた。1958年の欧州チャンピオンズ・カップでは、決勝に進出。
ディステファノを擁するレアル・マドリードから先制ゴールを奪ったが、延長の末に2-3で敗れてしまい、白い巨人の連覇を遮ることは出来なかった。 (※上のフォーメーションは同時期に所属していない選手を含む) |
アルタフィーニ、クディチーニ、シュネリンガー、トラパットー二、プラーティ、リヴェラなど数々のクラック達を擁し1967年のコッパ・イタリアに優勝すると、翌年カップ・ウィナーズ・カップとセリエAを優勝。さらにミランは1969年クライフのアヤックスを4-1で下し、 ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップに優勝、インターコンチネンタル・カップも獲得した。しかしながらその栄光も70年代に入ると陰りを見せ始める。 | ミランは79年リヴェラの引退による戦力ダウン、さらに八百長疑惑の制裁を含め2度の降格といった闇の時代を迎える。この闇に光を灯したのがベルルスコーニ。会長に就任した翌年の大改革でミランは見事に復活を遂げ、90年代中期まで長い黄金期を迎えることとなる。 そのチームの中心となったのがオランダトリオ(ファン・バステン、ライカールト、フリット)、鉄壁の4バック(バレージ、マルディー二、タッソッティ、コスタクルタであった。また、91-92シーズンにはセリエA初の無敗優勝を飾った。 | |
サビチェビッチ マッサーロ ボバン ドナドーニ デサイー アルベルティーニ マルディーニ タソッティ バレージ コスタクルタ ロッシ |
ウェア ビアホフ ボバン グーリー ヘルベグ アンブロジーニ アルベルティーニ マルディーニ コスタクルタ サーラ アッビアーティ |
インザーギ シェフチェンコ ルイ・コスタ セードルフ ガットゥーゾ ピルロ カラーゼ シミッチ マルディーニ ネスタ ジダ |
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オランダトリオの時代は過ぎ去ったが、各国のスーパースターが揃うミランの勢いは止まらなかった。マルセイユから移籍してきたボランチのデサイーがチームにアグレッシブさをもたらし、前線ではサビチェビッチのファンタジーとマッサーロの決定力が光った。 このほかルーマニアのラドチョウ、デンマークのブライアン・ラウドルップ、フランスのパパンといった各国のストライカー達が所属していたが、外国人枠も影響し出場はわずかだった。また95-96シーズンからはイタリアの至宝ロベルト・バッジョも所属。 | カペッロが去った後のミランは2年もの間、欧州のトップクラブの争いから取り残されることになってしまう。それはサッキを呼び戻しても強いミランに戻ることはなかった。98/99年にアルベルト・ザッケローニが監督に就任し、一年目で誰もが予想だにしなかった チームに奇跡的なスクデット獲得をもたらすも、強かったサッキやカペッロのミランのような絶対的な強さはまったく感じられなかった。このシーズン日本代表の中田英寿がペルージャへ移籍しブレイク。 | 日韓ワールドカップでブラジルが栄光を獲得したこの年。ミランでは前年途中から指揮をとっているアンチェロッティの『勝負の年』。リバウド、トマソン、セードルフ、ネスタを獲得し、さらにファンタジスタであるピルロをレジスタの位置に据える事で攻撃的なサッカーを展開し、 チャンピオンズリーグ制覇という結果をもたらせた。この年の布陣が現在のミランの原型となっている。 |